埼玉県の地域ブランド商標である岩槻人形(いわつきにんぎょう)は、埼玉県さいたま市の岩槻地域で生産される衣装人形の総称です。
埼玉県の岩槻は、江戸時代から人形の街として知られ、現在も生産量、生産額ともに日本一です。
ところで、人形の生産はもともと京都や江戸(東京)が本場。それがなぜ埼玉県のそれも岩槻という限られた地域だけで、これほど発展したのでしょうか。
埼玉県の岩槻人形とは
埼玉県の岩槻で生産される人形は、主に雛人形や五月人形などの節句人形と、能・歌舞伎の登場人物をモチーフとした浮世人形に大別されます。
いずれも、胴が大きめで、頭の輪郭に丸みがあり、目鼻立ちがはっきりしているのといった共通の特徴があります。
これは、岩槻で発祥した伝統の製法によります。
岩槻人形は、頭部分の素材として、桐のおが屑としょうふ糊(小麦粉を原料とする糊)を混ぜて固めた桐塑(とうそ)を使っています。
これを、にかわと胡粉(ごふん、顔料の一種)を塗って仕上げます。
「桐塑頭(とうそがしら)」と言います。
埼玉県の岩槻独特の製法であり、滑らかで艶があり人肌に近い仕上がりとなる上、丈夫で破損や劣化にも強いという特性があります。
その他の部位は、髪は生糸、胴は藁胴でできており、衣装は、絹織物、綿織物で仕立てたものが使われます。
製作工程は分業制で、それぞれ専門の職人が作った、頭、胴、手足、衣装の部位を、組み立て専門の職人が組み立てて完成します。
現在でも埼玉県の岩槻では、すべての工程を人形師による手作業で行っています。
埼玉県の岩槻人形の歴史
埼玉県の岩槻で人形づくりが始まったのは、江戸中期ごろのことです。
きっかけになったのは、三代将軍家光が行った日光東照宮の寛永の大造替があります。
もともとあった東照宮を現在も残る荘厳な社殿に建て替えるための大規模改築工事を行うにあたって、全国から各種の職人が呼び寄せられました。
約10年に及ぶ工期が終わると職人たちは散り散りになりましたが、故郷に戻らず岩槻にとどまった者も多かったようです。
もともと、埼玉県の岩槻は、江戸の北の守りとして、また、日光街道の宿場町として栄えており、住むのに好適で、大消費地である江戸に程よい距離が仕事に適していたのでしょう。
この地に住み着いた職人たちは、豊富にあった桐を原料に、箪笥や下駄などを作って生計を立てるようになりました。
そんな中に、人形作りの技術を持つ者がいたのです。
特に、現在の岩槻人形の製法を確立したとされるのは、京都出身の仏師、恵信いう人物だとされます。
恵信は、岩槻で豊富に入手できる桐粉に目をつけ、しょうふ糊で練り固めて人形の頭を作る方法を編み出しました。
現在まで伝承される、岩槻人形の基本的な製法です。
また、頭の塗装に使用する胡粉と相性のよい良質な水に恵まれていたことなどの好条件が重なり、岩槻で人形生産が盛んに行われるようになったということです。
参考:
岩槻人形協同組合
さいたま観光国際協会
伝統的工芸品産業振興協会
日本伝統文化振興機構
岩槻人形の商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)2月23日 |
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出願日 | 平成18年(2006)6月26日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)6月26日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)2月23日 |
商標 | 岩槻人形 |
称呼 | イワツキニンギョー |
権利者 | 岩槻人形協同組合 |
区分数 | 1 |
第28分類 | 岩槻に由来する製法により埼玉県さいたま市岩槻区で生産された人形【類似群コード】24A01 |