よい米が取れ、よい水が湧き、適度な寒さに恵まれるという、酒造りに適した環境が生んだ新潟の清酒。
いまや日本で一、二を争う日本酒ブランドと言っていいでしょう。
きめ細かく澄んでいて、上品な味と香りが人気の新潟清酒はどのように誕生したのでしょうか。
新潟県の新潟清酒とは
新潟県出身の杜氏に受け継がれる伝統技術と確かな醸造環境で製造される清酒のみを新潟清酒と言います。
具体的な条件は下記の5つ。
- 原料米は100%新潟県産
- 醸造地は新潟県内
- 仕込み水は醸造試験場で適正が確認された新潟の水
- 精米歩合60%以下の特定名称酒で、かつ県品質管理委員会の実施する品質審査に合格したもの
- 新潟の伝統の酒造りの技法によって醸造されている
以上の基準に適合した商品にシンボルマークを付与し、新潟清酒の商標の使用を許可しています。
新潟県の新潟清酒の代名詞端麗はなぜ生まれたか
新潟県の酒は、いわゆる端麗と表現されるさっぱりした飲み口が特徴です。
その特徴を生んでいるのは、新潟の米、水、気候によって、ゆっくりと発酵が進むからだと言われています。
要因は主に二つあります。
まず、新潟の水。
ミネラル分の少ない超軟水です。
水分中に含まれる栄養分がすくないために、発酵が穏やかに進むとされます。
もう一つは、新潟の気候。
新潟は豪雪地帯ではありながら、気温そのものはそれほど低いわけではなく、したがって、酒造りを行う冬期でも昼夜の温度差が比較的に少なく気温が安定しているため、これも低温でゆっくり発酵が進む一因と言われます。
ゆっくり発酵が進むと、酒は、まろやかですっきりした飲み口になるのです。
新潟の酒、新潟清酒の歴史
新潟県における清酒づくりは江戸時代ころから盛んになり、明治時代までは金額ベースで県内の生産品1位を占めていました。
県としても酒造業の発展に力を入れ、1930年には清酒専門試験場として全国初となる新潟県立醸造試験場を設立しています。
明治時代から昭和にかけて生産量はピークを迎え、もともとは県内で消費されたいたものが、全国各地に出荷されるようになりました。
しかし、新潟の酒が地域ブランドとして認識されるようになるのは、実は1980年ごろからと、意外に最近のことなのです。
1975年ごろ、雑誌『酒』の編集長佐々木久子氏が「越の寒梅」を取り上げたことで、めったに手に入らない「幻の銘酒」という希少性が逆に話題となり、全国にその名が知られるようになりました。
さらに80年代に入るとバブル景気を追い風に高級感のある日本酒として新潟清酒はもてはやされるようになっていったのです。
1988年、新潟県の清酒出荷量は、兵庫・京都についでついに全国3位を獲得しました。
新潟の酒造りを担う越後杜氏
世界有数の豪雪地帯である新潟は、冬に漁業や農作業ができず、働き手は冬になると酒造りの出稼ぎに従事するのが通例になり、代々酒造りの技法が地域で育まれていきました。
藩としても多量の米を消費する酒は産業政策として重要な品目です。
生産量をコントロールしやすくするため、杜氏集団を管理し、また、寒気に集中して酒造りをする政策を進めました。
こうした政策の後押しもあって、日本を代表する越後杜氏集団が形成されていったと言われています。
一口に越後杜氏と言っても、実は出身地によって次の4派の杜氏集団にわかれます。
- 頚城杜氏(吉川、柿崎)
- 刈羽杜氏(鵜川、鯖石川、渋海川上中流沿い)
- 三島越路氏(塚野山、岩塚、来迎寺)
- 三島野積杜氏(寺泊)
明治時代に最盛期を迎えた新潟県の酒造り産業は、杜氏だけでなく酒蔵で働く蔵人すべてを含むと、生産人口は2万人達したと言われています。
その後産業の多様化により、昭和50年頃には蔵人5087人、うち杜氏701人に減り、さらに、平成10年の時点では、杜氏は259人になっています。
新潟清酒の商標登録の状況
登録日 | 平成19年(2007)3月30日 |
---|---|
出願日 | 平成18年(2006)6月26日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)6月26日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)3月30日 |
商標 | 新潟清酒(標準文字商標) |
称呼 | ニーガタセーシュ |
権利者 | 新潟県酒造組合 |
第33分類 | 新潟県産の清酒【類似群コード】28A01 |