平成20年2月8日に地域団地商標登録された奈良県の吉野杉は、日本三大美林の一つに数えられる最高級品として知られます。
吉野杉はどのように伝統の技術と品質を守ってきたのでしょうか。
奈良県の地域ブランド吉野杉とは
秋田杉、木曽桧とともに、日本三大美林の一つに数えられます。
奈良県の吉野川の水源地域にあたる川上村が吉野の林業発祥の地として知られます。
奈良県の吉野杉の特徴は以下の通りです。
1.節が少なく、年輪が緻密で均一
吉野杉は、節が少なくまっすぐに生長し、年輪の巾がほぼ一定で密であるため、強度が強く、構造材に適しています。
吉野の林業は伝統的に、わざと杉の苗を密集して植える「密植」という方法をとっています。
通常、木を植えるときには、1坪に1本のところ、吉野杉は3本植えるので、当然、養分の取り合いになります。
いっけんすると育ちが悪くなりそうですが、こうすることによって、成長の過程で木が競い合い、個体差がでにくくなり、結果として、年輪が1.3~3.5mmの狭い幅で均一に育つ杉になるのです。
奈良県の吉野杉は強度も強く、製材品の曲げ強度試験では、杉正角材は、一般材に比べてヤング係数(※1)および曲げの強さが1.4倍(※2)という結果がでています。
2.香りと色ツヤが良い
吉野杉は美しい淡紅色をしています。
香りも良いため、江戸時代には樽丸材、特に酒樽として使われていました。
近年では、内装材・造作材としては最高級の建築材とされています。
吉野杉特有の赤みや美しい柾目が表層材に適していることがその要因です。
また、油分が多く、年月が経つことでアメ色に変化し、味わい深くなるところも建築材として人気のゆえんです。
3.根元から上まで同じ太さで、まっすぐにのびる
人工林の条件として、まっすぐ育つことは極めて重要です。
その点、奈良県の吉野杉は、幹の根元から上まで、ほぼ同じ太さで曲がりが少なく、芯が中心にあるという良材の条件を完璧に満たしています。
奈良県の吉野の地は、雨や霧が多く、保水性に優れた土壌など、杉の成長に適した自然環境に加え、長い歴史の中で伝承されてきた林業技術によって支えられているのです。
奈良県の地域ブランド吉野杉の歴史
奈良県の吉野林業地帯における人工植林の歴史は室町時代から始まります。
1500年頃に奈良県・川上村で植林が行われた記録が、明治期に著された吉野林業の技術書『吉野林業全書』に確認できます。
安土・桃山時には、天下人豊臣秀吉が吉野地方を直接領有し、吉野杉を築城などに利用しています。
秀吉は日本各地に城を建てたので、そのころ使われた吉野杉の古木がいまでも各地の城や寺社仏閣など古い建物に残っているはずです。
江戸時代には徳川幕府の直領となり、大都市江戸の建設にともなう木材需要が急増しましたが、これにより木材資源が枯渇する危険がたかまりました。
奈良県の川上村には林業以外にこれといった産業がなく、唯一の資源である木材を切りつくしてしまったら村の財政がなりたちません。
そこで、1700年ごろ、村を上げて本格的な植林事業が始まりました。
木材供給量は増え、先述したように、江戸時代には、吉野杉は酒樽の樽丸用材として需要が高まりました。
村人たちは生計を維持していくため、協力して林業の技術を磨いたのです。
そうして築かれた林業技術の集大成として、奈良県川上村出身の土倉庄三郎が1898年、「吉野林業全書」を著しました。
高品質の材を生むための林業技術と、持続可能な発展を追求した林業経営棚が説いたもので、今日でも林業に携わる人たちにとってのバイブルとなっています。
奈良権の吉野杉の商標登録状況
登録日 | 平成20年(2008)2月8日 |
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出願日 | 平成18年(2006)4月1日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月1日 |
存続期間満了日 | 平成30年(2018)2月8日 |
商標 | 吉野杉 (標準文字商標) |
称呼 | ヨシノスギ |
権利者 | 奈良県木材協同組合連合会、奈良県森林組合連合会 |
区分数 | 1 |
第19分類 | 奈良県吉野地方産の杉材 【類似群コード】07C01 |