奈良県の地域ブランド商標、高山茶筌(たかやまちゃせん)は平成9年(1997)2月24日、奈良県高山茶筌生産協同組合によって地域団体商標に登録されました。
湯呑にそそがれた抹茶を小気味よく茶筌でかき混ぜる。
時代劇でよく見かける光景です。
茶道を習っている人にはお馴染みの所作かもしれません。
ところで、現在、茶筌を作っているのは日本で唯一、奈良県の高山だけです。
なぜ高山だけで茶筌が作られているのでしょうか。
奈良県の高山茶筌とは
高山茶筌とは奈良県生駒市高山町周辺で生産された茶筌です。
一般的にはちゃせんは「茶筅」と書きます。
高山でのみ、「茶筌」の字が使われます。
桶や樽を洗う道具「筅(ささら)」を原形にしたことから、一般的には茶筅なのですが、高山のものは道具を超えた芸術品であるという自負から、あえて茶筌という別な字を使ったということです。
現在、高山では、茶道の流派や、薄茶用、濃茶用、献茶、野点用など、様々な用途に合わせて120種類もの種類が作られています。
単に竹をササラ状に割いたものと思ったら大きな間違い。
製作には極めて高い技術が必要。
特に、「味削り」という工程は、その出来によって茶の味が変わるとされる重要な部分で、熟練した職人にとっても非常に難易度が高い作業ということです。
奈良県の高山茶筌の由来
室町時代の後期に茶道が発達すると共に奈良県高山でも茶筌が生産させるようになりました。
茶筌を考案したのは入道宗砌という人物で、ゆかりのあった茶人・村田珠光から茶を攪拌するための道具の製作を依頼されたことがきっかけで、発明したそうです。
抹茶を思い浮かべてみれば分かる通り、粉状になっているため、普通にお湯に溶いただけでは沈殿してしまいます。
見た目もよくないし、味も変わってしまいます。
そこで攪拌する行程が必要になりますが、茶の湯は単なる作法ではなく、芸術性も重要。
茶をたてている姿が美しくなければなりません。
宗砌はそこまで考えて茶筌を考案したわけです。
宗砌が開発した茶筌は帝の目にもとまり、その出来栄えに感銘を受けた帝から、特別に「高穂」の名前を与えられたということです。
宗砌はこれに感激し、茶筌の改良に励むとともに、自分が開発した技術を故郷の奈良県高山に持ち帰って門外不出の秘伝としました。
このときから昭和時代まで、宗砌の伝えた茶筌づくりの秘伝は子孫によって守り続けられ、高山の特産品となっていくわけです。
戦争による人手不足を補うために、技術を一般に公開することになったものの、多くの茶筌業者が高山で起業したことで、地場産業として発達する結果となりました。
参考:
高山茶筌生産協同組
奈良県庁
伝統的工芸品産業振興協会
奈良県の高山茶筌の商標登録の状況
登録日 | 平成9年(1997)2月24日 |
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出願日 | 平成6年(1994)2月7日 |
先願権発生日 | 平成6年(1994)2月7日 |
存続期間満了日 | 平成39年(2027)2月24日 |
商標 | 高山茶▲せん▼ |
称呼 | タカヤマチャセン,コーザンチャセン,コーザン |
権利者 | 奈良県高山茶筌生産協同組合 |
区分数 | 1 |
第21分類 | 茶筌【類似群コード】19A05 |