兵庫県の地域ブランド三木金物は平成20年2月29日に地域団体商標登録がなされました。
古くは5世紀から始まったとされる三木のカナモノづくり。
現在では工具や台所用品、農具として重宝されています。
三木金物はどのように地域ブランドに発展したのでしょうか。
兵庫県の地域ブランド三木金物の特徴など
兵庫県の三木金物は市の重要な産品で、三木市全体の工業製品出荷額の約30%を占めています。
兵庫県三木で生産させた金物は全国に出荷されており、特に三木金物がもっとも得意とする工匠具、手引のこぎり全国シェアは約17%です。
高い品質を生んだ背景には、約400年の歴史の中で受け継がれた伝統の“たたら製鉄法”の技術を磨き上げてきたのに加え、新しい技術も積極的に取り入れ技術革新を図ってきたことにあります。
こうした技術革新により、伝統の大工道具だけではなく、現在では、金属加工・新建材用工具等、各種の金物製品など幅広い製品を生産しています。
なお、三木金物製品のうち、
- 鋸(のこぎり)
- 鑿(のみ)
- 鉋(かんな)
- 鏝(こて)
- 小刀(こがたな)
は国の伝統的工芸品にも指定されております。
兵庫県の地域ブランド三木金物の歴史
三木金物としての歴史が始まったのはいまから400年前と言われています。
さらに古い歴史をひもとくと、5世紀ころ三木地方で行われていた鍛冶の方法に、百済から渡来・帰化した職人たちが持っていた鍛冶の技術が加わることによって、鍛冶のさかんな地域としての土台が完成したと言われています。
つまり、約1500年前から兵庫県の三木地方における金物の歴史は始まったことになります。
発祥が400年前と言われるのは、安室桃山時代の三木合戦にきっかけがあります。
天下人、豊臣秀吉の三木攻めによって激しい戦闘の末、三木の町は焼け野原になってしまいます。
戦が終わって天下を平定すると、秀吉は町の再建に乗り出し、各地から大工職人を呼び寄せ大掛かりな復興事業を興したのです。
各地から集まった大工職人が驚いたのは、三木の鍛冶屋がつくる金物のすばらしさです。
みな三木の街で大工道具を調達し、復興が終わって別の地域の仕事に向かうときにも、幹の金物を携えていきました。
そうして、各地へ散らばった大工たちの口コミによって三木金物の名声が広がっていったと言われています。
兵庫県の地域ブランド三木金物の関連情報、こぼれ話など
肥後守ナイフ
三木金物として有名なのが肥後守(ひごのかみ)ナイフです。
一昔前は「肥後守」はナイフの代名詞でもありました。
名前から九州地方の製品と思われがちな肥後守ナイフも、実は三木の組合業者でないと作れない登録商標なのです。
明治29年、三木金物業界の重鎮の重松太三郎という人が、九州からナイフを持ち帰りました。
そのナイフをもとに鍛冶職人たちにナイフ作りを勧めましたが、三木の職人は単に同じものを作るのではなく、自分たちの技術を使って改良を重ね、新たなブランドを確立させたのです。
金物鷲
三木金物のシンボルとなっているものに、金物鷲(かなものわし)と呼ばれるオブジェがあります。
昭和7年、三木町(現在の三木市)が水害に見舞われ、町全体が大きな損害を被りました。
翌、昭和8年になって、町が復興のアイデアを募集したところ、三木を代表する産品である金物づくりの技術を使ってオブジェを作ろうということになり、職人たちが総がかりで制作したのが鷲をかたどった作品でした。
羽根の一枚一枚が、刃物を作る技術によって作られた独特の意匠は全国から注目を集め、復興のシンボルとなったのです。
このとき製作した金物鷲は現存していませんが、昭和27年、三木金物見本市の目玉として、鍛冶職人と、卸組合、兵庫県工業技術センターの技術者によって金物鷲が復活しました。
その後2回、作り直され、現在三木市に受け継がれているものが3代目ということです。
兵庫県の地域ブランド三木金物の商標登録情報
登録日 | 平成20年(2008)2月29日 |
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出願日 | 平成19年(2007)3月9日 |
先願権発生日 | 平成19年(2007)3月9日 |
存続期間満了日 | 平成30年(2018)2月28日 |
商標 | 三木金物 |
称呼 | ミキカナモノ |
権利者 | 三木金物商工協同組合連合会 |
区分数 | 2 |
第7分類 | 兵庫県三木市及びその隣接市町村で生産される金属加工機械器具の切削工具,製材用・木工用又は合板用の機械器具の切削工具,農業用機械器具の切削工具【類似群コード】09A01、09A09、09A41、09A47 |
第8分類 | 兵庫県三木市及びその隣接市町村で生産されるくわ,手動利器(「刀剣」を除く。),手動工具(「すみつぼ類・皮砥・鋼砥・砥石」を除く。)【類似群コード】09A41、13A01、13B01 |