小石原焼は、福岡県の特産品の陶器です。
約350年前から庶民が使う日常道具として作られてきたものですが、用の美を体現する独特の美しさが高く評価されています。
現在は、小石原焼陶器協同組合 (福岡県朝倉郡東峰村大字小石原730番地の9)によって地域団体商標として登録され、福岡県の地域ブランドとして保護育成されています。
福岡県の小石原焼とは
小石原焼は、福岡県朝倉郡東峰村小石原地区で採取された陶土を使い、かつ、同地区内に由来する伝統的な製法によって生産された陶磁器です。
小石原焼は今から約350年前に誕生しましたが、当時から芸術品としてではなく、一般の人たちが普段使う食器として生産されていました。
生乾きの状態で化粧土や釉薬をかけ、カンナ、ハケ、クシなどで模様をほどこすなどの独自の装飾技法によって、次第に個性的な様式美を確立していきました。
その芸術性の高さは、1958年(昭和33年)にブリュッセルで開催された万国博覧会でグランプリを受賞したことによって証明されています。
現在では、伝統の製法を受け継ぎつつ、陶芸作家によって新たな小石原焼の可能性が追求されています。
福岡県の小石原焼の歴史
小石原焼の起源は、1669年(寛文9年)、高取焼(福岡県に伝わる古窯)を完成させた初代高取八蔵の孫にあたる八之丞が同地区で良質の陶土を見つけたことに始まります。
八之丞は小原地区に移り住んで窯をつくり、高取焼の技法を使って独自の作陶を開始しました。
それから十余年がたった、1682年(天和2年)、黒田藩三代藩主光之が地場の陶器産業を確立するため、伊万里から陶工を招きました。
伊万里の陶工たちは、この地で作陶を始めていた八之丞と協力し、新たな陶磁器を生み出すことに成功します。
こうしてできたものが、小石原焼の原型です。
当時は、「中野」という地名だったことから、中野焼と呼ばれるようになりました。
江戸時代から明治、大正と、連綿と作り続けられたものの、あくまで民生品のため、特別に顧みられることもなく、地元の生産者によって、地味にコツコツと作り続けられていたようです。
情況が変わったのは第2次世界大戦後です。
1948年(昭和23年)に九州民芸協会が設立されると、九州における民芸運動が活発化し、歴史に埋もれていた小石原焼が再発見されたのです。
ちなみに、民芸運動とは、日常生活で使われる道具の中に用の美を見出し、再活用しようという運動です。
焼き物、染織、漆器、木工など、無名の職人が作るすぐれた工芸品や日用雑器を再発見していく運動の中で、小石原焼が見直されるようになったのです。
さらに、1958年(昭和33年)、ブリュッセルで開かれた万国博覧会において、小石原焼がグランプリを受賞したことが、国内での再評価のきっかけになり今にいたるというわけです。
参考:
東邦見聞録(東峰村ツーリズム協会)
伝統工芸青山スクエア
小石原焼伝統産業会館
小石原焼の商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)2月2日 |
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出願日 | 平成18年(2006)4月1日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月1日 |
存続期間満了日 | 平成39年(2027)2月2日 |
商標 | 小石原焼 |
称呼 | コイシワラヤキ,コイシハラヤキ |
権利者 | 小石原焼陶器協同組合 |
区分数 | 1 |
第21分類 | 福岡県朝倉郡東峰村小石原地区で採掘された陶土を主原料として同地区で生産された陶磁器製の食器類,置物,仏像,花器,湯飲み茶碗,額皿,水指,建水,ジョッキ,ビールジョッキ,すりばち,ろうそく立て,マグカップ,花瓶,水盤,絵皿,壺,香炉,茶入れ,植木鉢,大根卸し【類似群コード】19A03、19A05、19B27、19B32、20C01、20C02、20C50、20F01 |