福岡県の地域ブランド商標である博多人形は、博多人形商工業協同組合によって地域団体商標に登録されました。
「博多人形」は、ただ美しいだけではなく、テーマに取り上げた人物特有の動きをダイナミックに表現した躍動感、実際の人体・表情に近い写実的な表現が特徴です。
その造形美は、古い伝統にとらわれるばかりではなく、現代人の感性にもマッチしており、現在でも根強い人気を誇ります。
福岡県の博多人形とは
博多人形は、福岡県福岡市、及びその周辺地域において、伝統的な手法を用いて生産される日本人形です。
福岡県民に愛される博多人形。
博多の街では、あらゆる所で博多人形のレリーフやモニュメントが存在し、催事も頻繁に行われます。
博多人形という名は、製造工程に由来しています。
人形に使用する粘土は、地元福岡県で取れたものです。
粘土を練り上げ、伝統的なデザインに基づいて彫り上げられた原型をもとに、石膏で型取りをします。
さらに別に練り上げた粘土を型に押しつけて、付け窯で焼き上げて下地作りをします。
人形の着色は、素焼きの状態で行われます。
素焼きの状態で行うことで、落ち着いた雰囲気とはっきりとした陰影をもつ、細やかな掘り込みが表現されるのです。
このように独特な工程から、「博多素焼人形」と呼ばれていたようですが、のちに「素焼」の2文字を除いて「博多人形」と呼ばれるようになりました。
献上物だった博多人形
博多人形の歴史は古く、安土・桃山時代にまで遡ります。
当時の藩主である黒田長政が筑前に入国し、舞鶴城を建築する際、多くの職人が集められました。
その際、鬼瓦の細工物から焼き物作りの技法を学んだ職人が、その技術を使って素焼き人形を開発し、藩主に献上したのが博多人形の始まりと言われています。
江戸時代後半には、正木宗七・中の子吉兵衛・白水武平といった名工達が活躍して、現代に通じる特産品、博多人形の基礎ができあがりました。
博多人形が「世界的」にも評価を高めたのは明治時代です。
パリなどの国際的な博覧会に出品され、その緻密で優雅な造形が高い評価を受けます。
こうして世界的にも「日本を代表する人形=博多人形」として知名度が上がり、人形の部では全国で初めて通商産業大臣による伝統工芸品に指定されました。
山笠と博多人形は同じ人形師がつくる
博多夏の名物である山笠(正式には櫛田神社祇園例大)は、博多どんたくとともに、博多を代表する祭りとして知られます。
舁き山と飾り山と呼ばれる細かい装飾を施した独特の山車が博多の街を練り歩くと、博多っ子の熱い熱気に包まれます。
実は、この舁き山と飾り山、博多人形を作る同じ人形師が制作しているのです。
確かに、舁き山と飾り山には人形の型をした装飾が施されていますが、博多人形は粘土から作った素焼の人形なのに対して、舁き山と飾り山は、木、竹、和紙、布などで作られ、可動式の細工人形であるという違いがあります。
細工人形の技術は、室町時代に、京都から招かれた細工物師によって博多の人形師に伝えられたのです。
このときから現代にいたるまで、博多の人形師は、
- 素焼きによる博多人形の技術
- 細工人形の技術
の二つの技術を同時に継承しているのです。
参考:
伝統的工芸品産業振興協会
博多人形商工業協同組合 博多人形と暮らす
博多人形商工業協同組合 博多人形とは
福岡県の博多人形の商標登録の状況
登録日 | 昭和50年(1975)5月15日 |
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出願日 | 昭和45年(1970)11月18日 |
先願権発生日 | 昭和45年(1970)11月18日 |
存続期間満了日 | 平成37年(2025)5月15日 |
商標 | 博多人形 |
称呼 | ハカタニンギョウ |
権利者 | 博多人形商工業協同組合 |
区分数 | 1 |
第28分類 | 博多人形【類似群コード】24A01 |
登録日 | 平成18年(2006)12月8日 |
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出願日 | 平成18年(2006)4月3日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月3日 |
存続期間満了日 | 平成38年(2026)12月8日 |
商標 | 博多人形 |
称呼 | ハカタニンギョー |
権利者 | 博多人形商工業協同組合 |
区分数 | 1 |
第28分類 | 福岡県福岡市及びその周辺地域で生産される人形 【類似群コード】24A01 |