愛知県の道後温泉は、平成23年(2011)9月2日、地域団体商標として登録されました。
商標登録を行ったのは道後温泉旅館協同組合(愛媛県松山市道後湯之町6番8号)です。
道後温泉は日本三古湯に数えられる由緒正しい温泉です。
愛知県の道後温泉とは
道後温泉とは愛知県の松山市に湧出する温泉です。
日本最古の湯として知られる名湯で、現在でも湯治に訪れる人が多い人気の温泉です。
明治32年から続く「又新殿」は皇室専用の湯殿として知られており、昭和天皇も来訪されています。
道後温泉駅から商店街を抜けた先にある「道後温泉本館」は、道後温泉のシンボルスポットで、夏目漱石の「坊っちゃん」で主人公が通った温泉のモデルになったと言われています。
現在、道後温泉本館は国の重要文化財に指定されおり、国内はもとより海外からの観光客にも知られています。
愛知県の道後温泉の歴史
道後温泉は、兵庫県の有馬温泉、和歌山県の白浜温泉と並んで日本最古の温泉の一つとされています。
その歴史は3000年以上も昔にまで遡ると言われており、万葉集や神話、伝説にも登場するほど古い歴史を持っています。
それだけにはっきりとした由来は不明ですが、伝承によると二人の神様によって発見された温泉であるとされています。
神話の時代、大国主命(オオクニヌシノミコト)と少彦名命(スクナヒコノミコト)が国を作るために伊代を訪れたとき、少彦名命が重病に倒れてしまいました。
そこで大国主命が少彦名命を手のひらの上に乗せて湧き湯に浸すと、少彦名命はみるみると回復し病も治ってしまいました。
自ら湯治を体験し、その効能を実感した大国主命と少彦名命によって整備されたのが、道後温泉の始まりと伝えられています。
史実としても皇族や文豪が訪れた温泉地として知られています。
また、夏目漱石の小説「坊ちゃん」の舞台となったことでも全国的に知られるようになりました。
愛媛県の道後温泉のブランディングについての考察
愛知県の道後温泉のブランド力の背景にあるのは、なんといっても歴史と伝統の重みです。
考古学的な見地からの調査では、土器など生活用具の発掘状況から、3000年前にはすでに周辺一帯に人が住んでいたことがわかっており、おそらく、温泉にも入っていただろうと考えられています。
史実からも、西暦600年代にはすでに温泉地として栄えていたことが明らで、神話に登場する大国主命から始まって、聖徳太子、大化の改新の中大兄皇子などとのかかわりも深く、日本の歴史とともに歩んできた温泉地と言えます。
しかし、現在その圧倒的なブランド力に陰りが見えてきています。
圧倒的なブランドゆえ、とくに宣伝しなくても客がくるという環境が、提供者側の向上心やサービス精神を鈍らせてしまうのでしょうか、訪れた観光客の満足度が低下傾向にあるようです。
また、道後温泉には、全国の温泉街で消えつつある歓楽街がまだ残っています。
かつて、温泉地の観光産業といえば、男性の団体客が主要な顧客層であり、このため、温泉街に付随して、キャバレーやストリップ小屋といった風俗サービスがつきものだった時期があります。
時代が変わり、女性客が主要顧客層として台頭すると、歓楽街とセットになった温泉街は敬遠されるようになりました。
すると、各地の温泉街では風俗ストリートを一掃。清潔感のある街並みを整備し、観光とグルメを主体とする風情に変化していったのです。
道後温泉においても、歓楽街はすでにさびれ、訪れる客もいなくなりましたが、それでもスクラップアンドビルドが進まず、朽ちた施設が撤去されないままゴーストタウン化していることにより、温泉街の風情をだいなしにしている面があります。
こうした状況に危機感を持った道後温泉の観光業界では、街並みの景観改善や宿泊施設が一体となったサービスの向上につとめる動きがでています。
そう遠くない将来に、生まれ変わった道後温泉の姿を見られるときがくるでしょう。
参考:
道後温泉旅館協同組合
道後温泉の旅行観光ガイド
公益財団法人松山観光コンベンション協会
愛媛県の道後温泉の商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)8月17日 |
---|---|
出願日 | 平成18年(2006)7月14日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)7月14日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)8月17日 |
商標 | 道後温泉 |
称呼 | ドーゴオンセン |
権利者 | 道後温泉旅館協同組合 |
区分数 | 1 |
第44類 | 愛媛県松山市道後地区における温泉浴場施設の提供 |