千葉県はスイカ栽培で全国トップクラスの生産量を誇ります。
スイカといえば熊本県が有名ですが、千葉県の生産量はその熊本に続いて全国2位。
その千葉県でも随一の生産量を誇るのが、富里スイカのブランドを持つ千葉県富里市。
ところが、千葉県富里市でスイカ栽培が始まったのは昭和になってから。それほど古くありません。
その後発の千葉県富里市がスイカ栽培で躍進したのはあるきっかけがあったのです。
千葉県の富里スイカとは
千葉県の中でも、とくにスイカ栽培が盛んな富里市は県のほぼ中央に位置しています。
その埼玉県から千葉県にまたがる広大な北総台地の一角で、火山灰土壌「関東ローム層」の東端でもあります。
火山灰地帯は、水はけのよい地層から畑作に向いているとされ、特に富里市では水田の割合は農地全体の10%しかなく、ほとんどが畑です。
こうした土地の特性によくあったのがスイカです。
たっぷり水分を含んだスイカの果肉からは想像しにくいのですが、実は、スイカの栽培に湿気は大敵です。
とくに、土がじめじめと湿っているとすぐに根腐れしてしいます。
そのある程度の水分は必要ですが、やりすぎると味が薄くて水っぽいスイカになってしまうので、適度に雨が降りつつ、かつ、降り注いだ水がいつまでも土にたまっていないで、必要な水分を補給したらすっと湿気が抜けて渇いた大地に戻ることが理想。
その理想的な立地が、火山灰土壌なのです。
県内では江戸時代からすでにスイカ栽培が行われていたものの、当時のスイカはいまのように果実のような甘みがあるタイプではなく、どちらかというと野菜に近いものでした。
それが、明治時代になってアメリカ産の甘い品種が伝わるとスイカ生産が広がることになるのですが、その波が富里市にまで及んだのは、やっと昭和8年になってからでした。
スイカ栽培に理想的な大地によって甘く大きく育った富里のスイカでしたが、すでに有名な産地の後塵を拝しています。
それが、栽培スタートからたった2年で全国的な知名度を得ることができのです。
いったい何があったのでしょうか。
栽培開始からたった3年で全国区の名声を獲得したわけ
後発の富里スイカが栽培スタートからわずか2、3年で全国的な名声を得たきっかけとは、「皇室献上」です。
栽培開始から3年後の昭和11年(1936年)、皇室にスイカを献上することができたのです。
戦前の皇室の権威は非常に高かったので、皇室に献上されたとなると一気に全国的に名前が広がる契機になります。
ところで、農産物やお菓子などの特産品を、「献上品」などと呼びますが、皇室に献上されるためには、まず自治体で推奨させることが必要です。
当然ながら、全国品評会などの場で優秀な成績を収めたものだけがうやうやしく献上されるわけですが、富里スイカは栽培開始からたった3年しかたっていません。
それなのに、なぜ献上品に選ばれたのでしょうか。
それは、献上の前年に発足した「富里村西瓜栽培組合」の存在があります。
前述したとおり、富里市では昭和8年になってやっとスイカ栽培が始まったばかり。
そこで、全国の有名産地にいち早く追いつこうと、組合が中心になって、市内農家の指導を徹底。栽培方法の統一、検査出荷の共同化を進めたことで品質を確保でき、こうした活動が認められて献上品として選ばれたわけです。
現在の富里スイカは、「スイカロードレース」で知られるようになりました。
毎年6月、富里市で行われる市民マラソン大会なのですが、有名になったのは、「ライナーはスイカ食べ放題」という特典です。
マラソンコースには、給水所ならぬ「給スイカ所」が設置され、持ち帰りはできませんが、その場で食べられる分だけ無料でいくらでも補給OKなのです。
別名「スイカマラソン」と呼ばれ、ランナーにはおなじみの存在。小さな町のマラソン大会なのにもかかわらず、全国から毎年1万人以上のランナーが参加する人気のロードレースになりました。
富里スイカの商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)8月10日 |
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出願日 | 平成18年(2006)4月1日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月1日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)8月10日 |
商標 | 富里スイカ |
称呼 | トミサトスイカ |
権利者 | 富里市農業協同組合 |
区分 | 第31類 / 富里市産のスイカ |