愛知県の知多半島に位置する常滑市を中心に生産されている陶磁器、「常滑焼(とこなめやき)」。
常滑市は、日本六古窯の一つに数えられる伝統ある陶磁器産地の一つに数えられます。
「常滑焼」は、本来の道具としての機能性や扱いやすさを追求しながら、デザイン性にも高い評価を得ています。
しかし、そんな常滑焼も、江戸時代の一時期、時代の転換に遅れをとり、ブランド力の低下を招いた時期があったのです。
愛知県の常滑焼とは
愛知県の常滑焼は、“瀬戸物”の由来にもなっている瀬戸、狸の置物で有名な信楽など、いずれも1000年以上の歴史を持つ由緒正しい産地と一緒に、「日本六古窯」に数えられます。
中でも、常滑はある時期まで最大規模を誇っていたということです。
愛知県常滑市を中心とする知多半島地域には、平安時代後期ごろにはもう3000基を超える数多くの窯が築かれていました。
なお、この頃に作られたものは「古常滑」と言います。
もともとは大きな壺や甕で有名だったようですが、現在では急須、招き猫、盆栽鉢などのほか、下水管や建設用タイルなど幅広い製品を生産しています。
特に、招き猫、盆栽鉢の生産量は日本一を誇ります。
デザインの特徴は、ツルツルした艶のある表面仕上げにあります。
素材がまだ生乾きの状態で表面を磨く素地磨きという技法によって、独特の艶やかな表面を実現しています。
もう一つ、常滑焼を代表する焼き物が「朱泥(しゅでい)焼き」です。
釉薬を使わない無釉で仕上げるもので、常滑で産出される鉄分を多く含む粘土の性質の作用で、焼き物全体が真っ赤に染まります。
愛知県の常滑焼の歴史
愛知県の常滑焼の起源は、平安時代に遡ります。
当時は、瓶、壼、甕などが主につくられていました。
このころすでに国内では、瀬戸や信楽、備前など名高る名窯が誕生していましたが、その中で常滑は、天然の良港をもち、日本のほぼ中心に位置することから、東西双方への輸送に便利だったことなどから、最大の陶磁器産地へと発展しました。
ところが、そんな常滑焼ですが、江戸時代に入るころになると、全国に乱立し始めた新興産地に押され、かつての勢いを失っていました。
安土桃山時代に始まり、武家の流行から庶民へと茶の湯の文化が広がるとともに、全国的に茶道具を中心とする工芸品のニーズが高まっていた時期です。
このとき、壺や甕の生産で強みを持っていた常滑は、工芸品への転換に遅れをとってしまったのです。
400年続いた江戸時代、常滑にとっては不遇の時代だったようです。
そんな常滑を復活させる契機になったのが、代表作「朱泥焼き」の誕生です。
朱泥焼きは当時、日本では生産されていませんでした。
中国からの輸入品しかなく、当然、高価なものです。
その高価なものを国産で作ることができれば大きな差別化になることは間違いありません。
時代はすでに、江戸時代後期にさしかかっていました。
発案したのは医師の平野忠司という人で、地元の陶工である杉江寿門(すぎえじゅもん)と片岡ニ光(かたおかにこう)の二人に研究を依頼。試行錯誤の上、日本で初めて国産の朱泥焼きを完成させたのです。
さらに、明治になって、本場中国の名陶工金士恒(きんしこう)という人が、たまたま来日して長崎に逗留しているところ常滑の陶工・鯉江高司(こいえたかじ)が常滑に招き、最初の開発者である杉江寿門と、腕の立つ陶工として知られた伊奈長三に本場中国の朱泥の製法を習わせたのです。
こうして常滑の朱泥はさらに品質が向上、日本全国へと輸出される常滑の特産品となったのです。
参考:
常滑焼
とこなめ焼協同組合
とこなめ焼協同組合
伝統工芸青山スクエア
常滑市民のつくる常滑ホームページ
日本のやきもの
常滑焼の商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)1月19日 |
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出願日 | 平成18年(2006)4月6日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月6日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)1月19日 |
商標 | 常滑焼 |
称呼 | トコナメヤキ |
権利者 | とこなめ焼協同組合 |
区分数 | 2 |
第11分類 | 愛知県常滑市、大府市、東海市、知多市、半田市、東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町で成形及び焼成した陶磁製の浴槽・手洗い鉢・火鉢・照明器具 |
第21分類 | 同茶器・食器・花器・置物・香炉・植木鉢・甕・漬物甕・焼酎サーバー・風鈴・すりばち・ようじ入れ・ろうそく立て・貯金箱・傘立て |