瀬戸焼は、愛知県瀬戸市、および、尾張旭市で生産される陶磁器製品の総称です。
一般に、関西以東では、陶磁器製品のことを“せともの”と呼ぶ習慣がありますが、瀬戸焼がその由来です。
つまり、陶磁器といえば瀬戸物と称されるほど、愛知県の瀬戸焼は全国に知れわたり、普及していたわけです。
一般名称として定着するほど全国区のブランドを確立した瀬戸焼ですが、実は低迷していた時期もあったそうです。
愛知県の瀬戸焼とは
まずは、瀬戸焼きとはどういった背景のある地域ブランドなのか、振り返っておきましょう。
瀬戸焼の商標は、下の3つの組合によって商標登録され管理されています。
- 愛知県陶磁器工業協同組合
(愛知県瀬戸市陶原町1丁目8番地) - 瀬戸陶磁器工業協同組合
(愛知県瀬戸市陶原町一丁目8番地) - 瀬戸陶磁器卸商業協同組合
(愛知県瀬戸市見付町38番地の3)
瀬戸は、古くから陶磁器の産地として知られ、その歴史は1000年以上前に遡り、常滑、信楽、越前、丹波、備前とともに、六大古窯の一つに数えられます。
その特徴を一言で言うと、おおよそ陶磁器と名の付くものはすべてある、ということになります。
食器はもちろん、大根おろしやレモン絞りなど調理用具、人形や置物、燭台など調度品、灰皿やタイルなど、製品の種類は多用。
また、製法においても、釉薬を使わない無釉焼、極彩色の模様を施した染付焼、陶器・磁器、近代的なセラミック製品などオールマイティです。
さらに、普段使いの日用品から、芸術品、自家用ではなく贈り物用として使われるノベルティまで、とにかく何でもあります。
この多様性が、瀬戸焼が全国に普及した大きな要因と思われます。
愛知県の瀬戸焼で特に有名な3種
何でもあるのが特徴の瀬戸焼ですが、あえて言うと、下の3つが特に有名です。
赤津焼
瀬戸市の東部の赤津地区で伝統的に製造されてきた焼き物です。
瀬戸焼の歴史が始まった1000年ごろには、すでに赤津焼も誕生していました。
赤津焼の特徴は、7種類の釉薬を使いこなすことによってつくられる、多彩な表現にあります。
瀬戸染付焼
磁器の上に、繊細な筆致で精密に描かれた模様が特徴の染付焼きです。
題材は、山水画や花鳥風月など。写実的に描かれています。
セト・ノベルティ
置物や人形、おみやげ物など装飾品を中心とした製品群です。
おもに海外への輸出用として生産されています。
愛知県の瀬戸焼の歴史
愛知県の瀬戸焼は、前述したとおり、国内でもっとも古くから陶器を生産していた古い産地の一つですが、六古窯の中でも、唯一、当初から「釉薬」を使っていたことで知られます。
釉薬を使うことによってガラス状に溶けた釉が陶器の地にできた小さな気泡をふさぎ、水を吸うのを防ぎます。
また、表面がツルツルになるので発色がよく、絵筆による多彩な模様の表現が可能になり、瀬戸焼の染付技術が発達したわけです。
このころの瀬戸焼を古瀬戸と言います。
戦国時代に職人が離散してしまうなどして、生産がいったん途絶えたものの、このときは尾張藩の保護政策によって衰退をまぬかれました。
ところが、江戸時代になると、強力なライバルが登場します。
肥前の有田焼です。
全国に先駆けて磁器の国産化に成功した有田焼はまたたくまに国内を席巻。
瀬戸は窮地に立たされました。
江戸時代は、瀬戸焼きにとって不遇の時代でした。
鎌倉、室町時代を通じて瀬戸が築いてきたブランド力、販路はどんどん有田に奪われていったのです。
瀬戸が陶磁器の生産に成功したのは、江戸時代後期のことでした。
それでも有田焼の品質にはかなわず、苦境が続いていたのですが、そんなときに登場したのが加藤民吉とういう陶工です。
ライバル有田に自ら出向いて磁器の製法を学んだ民吉は、瀬戸に戻って窯を構築。磁器生産の技術を故郷に広げました。
本格的な磁器染付の生産が始まると、もともと染付の技術の高かった瀬戸では、磁器生産が飛躍的に進歩を遂げました。
その結果、瀬戸は陶磁器産地としての地位を復活させたのです。
愛知県の瀬戸焼のブランド力の考察
ブランド力が構築されるまでのプロセスは、主に4通りあると言われています。
- 計画的な戦略によるブランディング
- 自己表現によるブランディング
- 顧客経験によるブランディング
- イメージによるブランディング
ここでは細かい説明は省きますが、伝統工芸品の場合、ほとんどが自己表現によるブランディングに当てはまります。
「自己表現によるブランディング」とは、生産者の技術の鍛錬や卓越したセンスよって生み出される製品への支持が高まることによってブランド力が構築されていくものです。
ところが、愛知県の瀬戸焼の場合は、計画的な戦略によるブランディングに相当すると思われます。
「計画的な戦略によるブランディング」とは、現代の企業がやっているようなマーケティング活動によって自社が有利に戦える戦略を見出し、市場のポジションを確立していく考え方です。
陶器生産で他産地をリードし、鎌倉、室町時代を通じて300年の隆盛を誇った瀬戸が、江戸時代に磁器生産で対応する有田に押され、瀬戸がとった行動は、自分たちも磁器をやろうということでした。
職人の気質としては、陶器でナンバーワンという地位にあった場合、磁器が台頭してきても、「うちは磁器よりもっとよい陶器を開発してみせる」というメンタルになりがちなものです。
そこをあえて、ライバルに頭を下げ、製法を教わったわけです。
史実に残るエピソードとしては、加藤民吉のケースしか現れていませんが、実際には、瀬戸は、他産地のよいものを謙虚に取り入れ、自分たちの焼き物の中に加えていったのでしょう。
これが、いまにして、「瀬戸にはおおよそ陶磁器と呼ばれるものはすべてある」という状況を生み出していると考えられます。
参考:
愛知県陶磁器工業協同組合
瀬戸陶器工業組合
瀬戸焼振興協会
陶芸ZANMAI
赤津焼工業協同組合
瀬戸焼の商標登録情報
登録日 | 平成24年(2012)12月14日 |
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出願日 | 平成24年(2012)1月18日 |
先願権発生日 | 平成24年(2012)1月18日 |
存続期間満了日 | 平成34年(2022)12月14日 |
商標 | 瀬戸焼 |
称呼 | セトヤキ |
権利者 | 愛知県陶磁器工業協同組合、瀬戸陶磁器工業協同組合、瀬戸陶磁器卸商業協同組合 |
区分数 | 6 |
第11類 | 瀬戸市及び尾張旭市で成形及び焼成した陶磁製の照明用器具,湯たんぽ |
第19類 | 同タイル,同灯ろう |
第20類 | 同傘立て,同骨つぼ |
第21類 | 同なべ,同食器,同アイスペール,同胡椒入れ,同砂糖入れ,同塩振り出し容器,同ナプキン立て,同楊枝入れ,同すりばち,同大根卸し,同レモン搾り器,同貯金箱,同ろうそく立て,同花瓶,同香炉,同置物 |
第28類 | 同人形 |
第34類 | 同灰皿 |