高級屋根瓦の代名詞ともいえる愛知県の三州瓦。
地域団体商標に登録されたのは2006年です。
主な産地は愛知県内の高浜市、碧南市、半田市の3市で、3つの市で生産しているから「三州」というわけではありません。
三州とは現在の愛知県西三河地方のことを指す古い地名です。
現在でも国内の屋根瓦出荷額の6割を占める日本一の瓦産地ですが、江戸時代からすでに瓦の3大産地の1つに数えられていました。
愛知の三州瓦とは
三州瓦は前述の通り愛知県の三河地方で主に生産されています。
その性質は堅く、表面はなめらかで、屋根に必要な防水性、耐熱性、耐寒性、耐久性のすべての項目で高い品質を誇っています。
性能だけではなく、三州瓦の魅力はその美しさです。
陶器に使われるのと同じ釉薬を塗り、高温で焼きしめられるため、ガラス様な透き通った輝きを持った色に仕上がります。
また、いぶしと呼ばれる技法により、渋い銀色の光沢を放つ瓦も三州瓦独特の風合いとして人気があります。
なぜ愛知の三州の瓦はそれほど高い品質を獲得できたのでしょうか。
そこには、主に2つの理由があると言われています。
1.原料の入手が容易
まず、原料です。
愛知県の三河地方は、瓦の原料になる良質の粘土が比較的に浅い層で大量に採取できました。
2.運搬に適した地の利
次に、交通の便です。
重い瓦を大量に運ぶためには水運が適しています。
三州には矢作川が流れ、皮の先には天然の良港として知られた三河湾があります。
このように、良質な原料が低コストで入手しやすかったことと、船による搬送に適していたことから瓦業者が多くあつまり、結果的に切磋琢磨していく中で変わらづくりの技術が磨かれていったのです。
愛知の三州瓦の由来
三州で瓦の生産が盛んになったのは1,700年頃のことです。
高浜市の春日神社の狛犬には「享保8年三州高浜村瓦屋甚六」という文字が彫り込まれています。
享保8年は西暦でいうと1723年です。
いまから300年前にはすでに瓦業者が活動していたわけです。
江戸時代になり戦争のない平和な世の中になると都市の文化が発展し、各地方の中心都市に人口が大量に流入しました。
人口が増えて住宅が過密になると、怖いのが火事です。
このため、江戸時代になると都市部では、比較的に火災に強い瓦葺きの屋根が奨励され、各地で瓦造りが盛んになったわけです。
三州もそうして発展した瓦産地の一つでした。
しかし、日本一の瓦産地の称号を簡単に獲得できたわけではありません。
明治7年(1874)の『府県物産表』によると、愛知県は瓦の生産で全国4位になっています。
少なくともこの時代、かつての日本三大産地の一角からもれてしまっていたことになります。
そこから、地元の瓦業者たちによる奮闘が始まりました。
大正6年(1917)には、三州の瓦職人の一人高須金之助がフランス人技師を招き、洋瓦の大量生産に踏み切りました。
大正15年には、スペインのスパニッシュ瓦を日本風にアレンジしたS型瓦を開発しています。
昭和3年(1928)には、当時の焼き物の先端製法として注目されていた塩焼き製法を瓦製造に取り入れることに成功。これにより、独特の小豆色をした塩焼き瓦「赤瓦」が誕生したのです。
このように、地域の瓦産業に携わる人たちの新製品開発や製造法の改良、量産化などの努力によって生産量日本一の瓦ブランドに成長したのです。
三州瓦の商標登録の状況
登録日 | 平成18年(2006)11月10日 |
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登録公報発行日 | 平成18年(2006)12月12日 |
公開日 | 平成18年(2006)5月18日 |
出願番号 | 商願2006-35394 |
出願日 | 平成18年(2006)4月18日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月18日 |
更新申請日 | 平成28年(2016)6月10日 |
更新登録日 | 平成28年(2016)6月21日 |
存続期間満了日 | 平成38年(2026)11月10日 |
商標 | 三州瓦(標準文字商標) |
称呼 | サンシューガワラ,サンシューカワラ |
権利者 | 愛知県陶器瓦工業組合(愛知県高浜市)、三州瓦工業協同組合(愛知県高浜市) |
区分数 | 1 |
第19類 | 愛知県三河地方及びその付近において生産された粘土かわら【類似群コード】07A02 |