平成21年(2009)2月20日、西尾茶協同組合 (愛知県西尾市上町下屋敷2番地3)は、「西尾の抹茶」を地域団体商標として登録しました。
抹茶は、日本を代表する嗜好品として世界的にも人気になっていることから、国内でも改めて見直される動きがでています。
愛知県では西尾市を中心に、安城市、幡豆郡吉良町で抹茶を生産しており、県別生産量で全国2位です。
抹茶の需要が増しているこの機会に、西尾の抹茶をブランド化してアピールしようという試みです。
ただし、その目の前には立ちはだかる巨大な壁があります。
抹茶ブランドの最高峰、宇治抹茶です。
圧倒的なトップブランドに対して、セカンドブランドがどのように戦っていけばいいのか、西尾の抹茶の取り組みを見てみましょう。
愛知県の登録商標西尾の抹茶とは
まず、西尾の抹茶の特徴についておさえておきます。
愛知県の西尾の抹茶は、愛知県の中央部を流れる一級河川、矢作川のもたらす栄養豊富な水と温暖な気候によって育まれる良質の茶葉から生産されます。
その発祥は、鎌倉時代の1271年、中国で生まれた茶の文化を日本で最初に紹介した臨済宗の開祖栄西の弟子で、京都の東福寺を開いたことで知られる聖一国師が、宋から持ち帰った種を実相寺(愛知県西尾市)の境内に撒いたのが最初と言われます。
ただしこれは、言ってみればメモリアル的な出発点です。
実際に、抹茶が盛んに生産されるようになったのはずっと後の明治時代になってから。
徳川家康の伯母のために創建されたという紅樹院の住職足立順道(あだちじゅんどう)が、明治5年、京都宇治から取り寄せた種を育て、茶園を開いたのが現在の愛知県中部を流れる矢作川流域に広がった愛知県の茶産業のベースになったものです。
愛知県のお茶があまり知られていない理由
ところで、お茶の生産地として有名なところは全国にいくつかありますが、「愛知県産のお茶」というのはあまり聞いたことがないと思います。
それもそのはず、通常、抹茶の生産が盛んな地域は、抹茶だけではなく茶産業が全般的に盛んなのに対して、愛知県産のお茶はほとんど抹茶として生産され、かつ、その90%が加工用として出荷されるので、一般消費者の目に触れる機会はあまり多くないのです。
抹茶の生産に特化した理由までは今回調べられませんでしたが、おそらく、他産地との差別化を図ったのだろうと思われます。
茶産地として有名な地域は茶の湯の文化が始まった安土桃山時代ごろからすでに有名です。
これに対して愛知県で茶生産が本格化したのは明治時代。
この時点ですでに500年から水をあけられているわけです。
そこで、比較的に参入障壁が低い抹茶に市場を絞ったのかもしれません。
というのも、抹茶は、茶葉に覆いをかけてわざと日光を遮る「覆い下」という特殊な栽培法を行い、かつ、摘んだ葉を乾燥させてから茶臼で挽くという面倒な工程を必要とするため、生産量が限られます。
要するに歩留まりが悪いわけです。
このため、生産地そのものが少ないのです。
あくまで推測ですが、ともあれ、愛知県の抹茶生産は成功を納めたといっていいでしょう。
全国茶生産団体連合会の「平成27年茶種別生産実績」によると、県別生産量で愛知県のてん茶(抹茶にする前の乾燥した茶葉の状態)の生産量は年間505トンで京都に続いて第二位、全国生産量の24%を占めているのです。
圧倒的なトップブランドに対するセカンドブランドの取りうる戦略とは
さて、抹茶に特化することで、後発ながら茶製品として一定の地位を確立した愛知県の西尾の抹茶ですが、ブランド力を獲得するにはどうにかして宇治抹茶に対抗しなければなりません。
先程の全国茶生産団体連合会の「平成27年茶種別生産実績」の数値によると、宇治抹茶の発祥地である宇治市を擁する京都は、てん茶の生産量が988トン、愛知県の約2倍です。
しかも、「宇治抹茶」は京都だけでなく、滋賀、奈良、三重の3県でも生産されているのですべて合わせると全国シェアはおおよそ60%ということになります。
宇治抹茶が抹茶の代名詞的な存在になっているのもうなずけます。
圧倒的なトップブランドに対して、セカンドブランドでありながら、生産量の90%が加工用として流通しているため、西尾の抹茶は認知度も低いというハンデがあります。
このような状況の中で、西尾の抹茶が対抗していくにはどうすればいいのでしょうか。
二番手ブランドの戦略としては、一般的に、市場を細分化して自社の狙うポイントを絞り込み、その市場での徹底的な差別化を図る方法がとられます。
これを、英語のSegmentation(セグメンテーション)、Targeting(ターゲティング)、Positioning(ポジショニング)の頭文字をとってSTP戦略などと言います。
愛知県のとった差別化戦略
最初に言ってしまうと、圧倒的なトップブランドをセカンドブランドが逆転するのはかなり難しいことです。
なぜなら、トップブランドは値下げしなくても売れるのに対して、セカンド以下のブランドは価格を落として、かつ品質で同等か上回るぐらいでないと対抗できません。
つまり、セカンドブランドは利益が削られる上に、生産コストが余計にかかることになります。
このため、トップブランドは営業的に優位にある上、投資に回せる資金も多く、生産設備の改善、宣伝や販促、新商品の開発などビジネス活動で常に有利な戦いを進めることができるわけです。
トップを追い越すときは、トップブランドが油断したとき、あるいは、自ら凋落したときしかないのが実情です。
そこで、セカンドブランドの取りうる策としては、トップを追い越すことを目標にするのではなく、トップが狙わない市場で強みを発揮することです。
実はすでに愛知県で行われています。
明治時代、茶産業では後発でありながら、愛知県が抹茶生産で全国2位までになったのは、まさに、市場を細分化した上で、先発が少ない抹茶という市場にターゲットを絞り、品質を向上させて一定の地位を確立したことです。
これにより、宇治抹茶に次ぐ第二ブランドまでのし上がりました。
品質で圧倒的に上回り続けること
さて、問題はここからです。
宇治抹茶は、ブランド力だけでなく、生産量でも圧倒的に強い状況です。
この中で、西尾の抹茶はどうすればよいのでしょうか。
セオリーとしては、トップを上回る圧倒的な品質を維持し続けることです。
この具体的事例については、湖池屋とカルビーの「ポテトチップス」の競争が有名です。
企業としてはカルビーの創業が先ですが、ポテトチップスでは湖池屋が先行していました。
後発のカルビーはどうしたかというと、原料を北海道上川地方または網走地方産のジャガイモに限定しました。
湖池屋が使うジャガイモよりも上のグレードの原料を使うことにしたわけです。
これにより、後発のカルビーのほうが若干、売価が高くなってしまったのですが、それでも品質で上回ったカルビーは徐々に消費者の支持を得て、長い時間をかけてシェアを逆転するにいたったのです。
西尾の抹茶が取りうる戦略も、これです。そして実際、愛知県の茶産業は、すでにこの戦略を取り入れているものと思われます。
愛知県で抹茶が盛んになったのには、もう一つ理由がありました。
それは、隣の岡崎市が石臼の産地だったことです。
茶葉は、熱と圧力に弱く、抹茶にするとき圧力を加えすぎたり、摩擦熱が発生すると品質が落ちます。
この点、抹茶を挽く茶臼として岡崎市産出の石臼が適していました。
いまでも西尾の抹茶は石臼で挽くことにこだわっています。
本来、抹茶と呼べるのは、茶臼で曳いたものに限られるのですが、現在では、一般的に抹茶とされる製品の多くが茶臼以外の方法で粉末状に加工されたものです。
したがって、茶臼で丁寧に挽くことにこだわる西尾の抹茶の品質は、常にライバルを上回ることができるというわけです。
参考:
西尾茶協同組合
茶活 CHAKATSU
茶ガイド(全国茶生産団体連合会・全国茶主産府県農協連連絡協議会)
西尾の抹茶の商標登録情報
登録日 | 平成21年(2009)2月20日 |
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出願日 | 平成19年(2007)7月31日 |
先願権発生日 | 平成19年(2007)7月31日 |
存続期間満了日 | 平成31年(2019)2月20日 |
商標 | 西尾の抹茶 |
称呼 | ニシオノマッチャ,ニシオマッチャ,ニシオチャ |
権利者 | 西尾茶協同組合 |
区分数 | 1 |
第30類 | 愛知県西尾市・安城市・幡豆郡吉良町で生産された茶葉を同地域において碾茶加工・仕上げ精製し、茶臼挽きした抹茶 |