三河木綿は愛知県のブランド商標です。
三河織物工業協同組合(愛知県蒲郡市神明町12番20号) によって、平成19年(2007)2月2日、地域団体商標に登録されました。
綿織物の産地は国内に数あれど、愛知県の三河こそ、日本の木綿発祥の地だとご存知でしょうか。
愛知県の三河木綿とは
愛知県の三河産の木綿を使った織物類を「三河木綿」と言います。
ちなみに、三河とは、愛知県の東半分の地域のことで、さらに細分化すると、 愛知県を縦に三分割した真ん中、岡崎市、碧南市、豊田市、安城市などを中心とする西三河、右端の新城市、豊川市、蒲郡市、豊橋市などを中心とする東三河にわかれます。
もともと、綿産業は西三河が盛んでしたが、後に東三河も加わり、三河全体で綿産業が発達しました。
三河木綿は、三河縞と呼ばれる独特の縦縞模様と、明るくほんのりとした藍色が特徴です。
また、三河の中でも、蒲郡市で発祥した「同時織り」は、複数層の組織を一度に織り上げる独自の技法で、生地と生地の間に空気を包み込み生地を柔らかく仕上げることができます。
愛知県の三河木綿の歴史
日本に初めて木綿がもたらされたのは、平安時代の初期だと言われています。
桓武天皇のころに著された『類聚国史』や『日本後記』などに残る記録によれば、799年、愛知県幡豆郡福地村(現在の西尾市)というところに漂着した「崑崙人(インド人思われる)」が、綿の種子を持ち込んだとされています。
ただし、このとき持ち込まれた綿種は、日本の気候に合わず、定着しなかったようです。
その後、15世紀頃になって、中国産の綿種が改めて輸入され、三河地方で栽培がおこなわれました。
国産の木綿についてはっきりと記述されたもっとも古い記録は、奈良県の興福寺に残された『永正年中記』に登場するもので、これによれば、永正7年(1510年)のこととして、年貢として「三川木綿」が納められたということです。
戦国時代初期の永正年間(1504~1520年)のころには、すでに三河地域で綿の栽培から製糸、織り、染色まで一貫して行える綿産業が確立していたようです。
戦国の世が終わり、平和な江戸時代になると、三河地域の綿産業がさらに活性化し、「三白木綿」として江戸で人気になりました。
当時は白木綿が主であったため、このように呼ばれていたようです。
明治時代になると、西洋の技術を取り入れたことで量産化が進み、「三河木綿」あるいは「三河縞」の名で全国に知られるようになり、現在にいたるというわけです。
参考:
三河織物工業協同組合
夢織人(三河テキスタイルネットワーク)
日本綿スフ織物工業組合連合会
三河木綿の商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)2月2日 |
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出願日 | 平成18年(2006)5月26日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)5月26日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)2月2日 |
商標 | 三河木綿 |
称呼 | ミカワモメン |
権利者 | 三河織物工業協同組合 |
区分数 | 2 |
第24分類 | 三河産の木綿の織物,三河産の木綿のタオル,三河産の木綿の敷き布,三河産の木綿の布団,三河産の木綿の布団カバー,三河産の木綿の布団側,三河産の木綿の毛布【類似群コード】16A01、17B01、17C01 |
第25分類 | 三河産の木綿のワイシャツ類,三河産の木綿の和服【類似群コード】17A01、17A03 |