ペプシコーラは、コカ・コーラと人気を二分する世界的な清涼飲料水ブランドです。
ライバルとのし烈なマーケティング合戦はつとに有名。
むしろ、壮絶なシェア争いを宣伝のネタにしてしまうほど。
そんなペプシの原点、商標はそもそもどこから来ているのでしょうか。
ペプシは薬だった
ペプシコーラが誕生したのは、いまから100年以上の前の1894年です。
最大のライバル、コカ・コーラの誕生(1886年)から遅れること8年。
両者の闘いの歴史はすでに一世紀以上に渡っているということです。
さて、商標の由来です。
製品の原型が誕生したときに、ペプシという呼称の由来があります。
開発したのは、アメリカノースカロライナ州に住んでいた薬剤師ケイレブ・ブラッドハムという人です。
コーラナッツ、バニラビーンズなどを原料とし、消化不良の治療薬として調合したものが原形です。
清涼飲料として改めて発売するのにあたり、当初、配合に消化酵素のペプシンが含まれていたことから、ペプシと名付けられたということです。
ペプシはもともと薬だったのです。
ちなみに、現在では製品にペプシンは含まれていません。
商標だけが名残として残ったものです。
ペプシの歴史は争いの歴史
ところで、もともと日本では本国出資のボトラーを含む多数の地域フランチャイズがボトリング事業を展開していましたが、いつの間にかサントリーグループのサントリーフーズが製造販売を一手に担うようになっています。
いったい何があったのか、ちょっとだけ振り返ってみましょう。
アメリカで生まれたペプシが初めて日本に入ってきたのは終戦直後の1947年。
GHQ職員のために専用に輸入されたもので、一般販売は行われませんでした。
すでに国民的清涼飲料に育っていたペプシ、アメリカ人の生活になくてはならないものだったのでしょう。
1950年代に入り、正式なフランチャイズが設立されて本格的に販売がはじまります。
ただし、ほぼ同時期に日本上陸したコカ・コーラが一気に全国フランチャイズ網を確立したのに対し、一部地域に偏ったペプシは苦しい闘いを余儀なくされます。
その後も苦戦は続き、主要な国内ボトラーは経営に行き詰って事業譲渡、あるいは倒産するなどして事業から撤退していきます。
大胆な比較広告などのマーケティング戦略や新商品のヒットなどで一時的にライバルに肉薄する局面もあったものの勝ち切れない時期が続きます。
結果的に、アメリカのペプシコ本部の海外戦略の見直しにともない、1997年に、国内の事業はすべてサントリーに譲渡されるにいたったのです。