大関と言えば、日本を代表する酒造メーカーの会社名であり、主力商品の商標でもあります。
その由来は、もちろん、相撲の大関からとったもの。
明治33年から現在まで、幕内相撲のスポンサリング活動を続けるなど、相撲と深いつながりがあります。
ところで、どうせ商標にするなら、幕内最高位の横綱ではなくなぜ大関にしたのでしょうか。
そこには深い理由がありました。
もともとの商標は大関ではなかった
大関の歴史は、いまから300年以上前、江戸中期にあたる1711年(正徳元年)に、大坂屋長兵衛が大阪の今津村で創業したのが始まりです。
当時の商標は大関ではなく、万両と言いました。
大関の商標が登場するのは、時代が明治に変わった1884年 (明治17年)です。
この年に、商標条例が発令されたのをきっかけに、江戸時代から慣れ親しんだ万両の商標を大関に改め、商標を出願、登録しました。
つまり、大関の商標は、我が国における商標の歴史ともに始まったのです。
1962年(昭和57年)に社名も商標に合わせて大関酒造に変更し、1991年に現在の社名「大関株式会社」となっています。
大関はかつて力士の最高位だった
なぜ、江戸時代から慣れ親しんだ商標を大関に変えたのかという説明の前に、そもそも大関とは何か、というところから振り返ってみます。
大関の語源は、優れた関取という意味の、「大関取」から「取」がとれて、大関になったと言われています。
あるいは、同社の解説では、城を守護する防人(さきもり)たちの鍛錬を促す目的として、力技で競わせる催しを行い、もっとも優秀な者から大関、関脇、小結、前頭と順位を決めて地位を与えたことが発端になっているとあります。
いずれにしても、1791年(寛政3年)に横綱が誕生するまで、大関は幕内力士の最高位だったのです。
大関こそ最強の称号
なるほど、横綱が誕生するまで大関が最高位だったから、商標も大関にしたのか、というと、どうもそういう訳ではなさそうです。
同社が商標を大関としたのは1884年。
つまり、横綱が誕生してから100年近くたっています。
発足当初は名誉称号的な位置づけだった横綱が、このころには名実ともに幕内力士の最高位となっていたのです。
それなら、なおさら、なぜ横綱ではなく、大関にしたのか疑問が残ります。
その点、同社の説明は以下の通りです。
「大関」は「大出来」に通じ、また「覇者」を意味します。
当時は大相撲の人気が上昇中であり、相撲の最高位と同じ名前は新しい酒銘の認知度アップにも大変役立ったものと思われます。
(大関株式会社「商標大関印の由来」より)
横綱は実質上の幕内最高位ですが、いったん昇格すると引退するまで降格がなく、名誉称号的な側面が残っています。
これに対して負ければ降格もある大関こそ、心技体がもっとも充実期にある最強の力士とする考え方もあります。
こうしたことから、大関こそ最強の称号ととらえ、商標にしたようです。
あるいは、最高位の横綱ではなく、あえて大関とすることで、常に一つ上を目指す姿勢を商標に込めたとも言えます。
ロゴマークにも相撲をイメージ
商標だけではなくロゴマークにも相撲をイメージした意匠がこらされています。
中でも象徴的なのは、明治17年に大関の商標を登録したときから、同時に使い始めたロゴで、大関の文字と、しめ縄、赤の2本線があしらわれています。
しめ縄は、綱に通じ、赤の2本線は関取の褌を表しています。
現在のロゴマークはデザインこそ変わりましたが、しめ縄と赤のラインはシンボルとして受け継がれています。
どこからどこまでも、相撲と縁の深い会社です。
参考:
大関酒造