ネーミングをめぐる物語「味の素」

今や家庭料理の味付けに欠かせないものとなった「味の素」。

商品名のみならず会社名も味の素。果ては「味の素スタジアム」なる物件も所有している味の素はいかにして味の素になったのか。

今回は味の素の由来について調べてみました。

目次

創業者の第一歩は意外にも、母を手伝った家内工業だった

「味の素」創業者の鈴木三郎助は、神奈川県で母を手伝い、ヨードの製造を手掛けていました。

やがて、母の後を継ぐと近代化に乗り出します。

これまでは海岸に流れ着く海藻をとって確保する不安定な原材料収集法でした。

それを安定的な調達方法に変え、製造過程も近代的なものに変えました。

さらに、ヨードの製造過程でできるヨードホルム、ヨードチンキを二次製品として生産し医療品としてヒットさせました。

医療メーカーとして成功した三郎助は、1907年「鈴木製薬所」を新たに設立します。

年号はまだ明治でした。

翌年の1908年、現・東京大学の前身である東京帝国大学理学部化学科教授の池田菊苗が、昆布からうま味成分「L-グルタミン酸ナトリウム」を抽出することに成功します。

同年には特許も取得します。

しかし、困ったのは製造です。

いまでこそ産学連携が言われますが、当時はそのような下地がない時代。

大学の予算では大規模な製造工場はつくれません。

そこで池田は昆布からヨードを抽出していた三郎助に声をかけ、事業経営を任せる運びになりました。

鈴木三郎助は、さらに、翌1908年、小麦のタンパク質からグルタミン酸を抽出することに成功し「うま味のある塩」を作り出すことに成功。

出来上がった製品を「味精」という名前で発売しました。

一筋縄ではいかない、ネーミングの壁

世に送り出された「味精」という製品ですが、社名が「鈴木製薬所」なものですから、多くの消費者からは薬品だと勘違いされ、なかなか売り上げは伸びませんでした。

そこで、食品であることを強調するためにロゴマークをお椀の形やエプロン姿の女性にすると同時に、今では誰でも知っている「味の素」という製品名に変更。

こうして、長らく人々に愛され続けるネーミングが生まれたのです。

明治57年には社名を「味の素本舗」に変更、そこから長い年月をかけて、昭和21年再び社名変更を行ない「味の素」となりました。

味の素の誕生が明治時代まで遡ると聞いて意外に思った人も少なくないと思います。

当時としては非常に先進的な技術が開発できたのは、製薬会社というバックグラウンドがあったからです。

しかし、その製薬会社としての名声が、逆に食品の成功を一歩遅らせることになったのは皮肉な話です。

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