由緒ある温泉地として知られる兵庫県の城崎温泉。
志賀直哉や有島武郎ら文豪が愛した名湯としても知られます。
産品ではなく地域そのものが商標登録されるのは珍しいケースです。
でも、城崎を知れば知るほど、地域全体にブランド価値があることが分かってきます。
兵庫県の城崎温泉とは
兵庫県の城崎温泉は、県北部、日本海側に位置する但馬地方のさらに北にある豊岡市です。
市町村合併前の城崎町です。
大谿川沿いに発達した温泉街で、宿泊施設のない外湯といわれる入浴施設をめぐる「湯めぐり」を主体とした温泉地です。
現在では、日本各地の温泉街で湯めぐりが楽しめますが、なかでも城崎温泉は外湯めぐり発祥地の地とされます。
主なところでは、
江戸時代に温泉医学を大成した香川修徳が著書『薬選』の中で天下一としたことから名づけられた「一の湯」、
道智上人が曼陀羅の千日祈願によって湧き出させたとされる、まさに城崎温泉発祥でもある「まんだら湯」、
1400年前、コウノトリが足の傷をいやすために浸かっていたところから、温泉が見つかったといういわれにちなんだ「鴻の湯」、
など、個性あふれる7つの外湯を巡りながら、柳のゆれる風情ある川沿いの道を散策するのが城崎の楽しみ方でもあります。
浴衣姿で湯めぐりする湯治客を、城崎の人々は町全体で迎え入れる風習があり、そんな町の雰囲気も訪れる人には人気です。
泉質は海に近いためか食塩泉で、湯温は40~70度と幅広く、婦人病などに効果があるとされます。
兵庫県の城崎温泉の歴史
関西地方ではよく知られた温泉地として古くから栄えました。
その歴史を遡ると1400年、奈良時代の717年、この地を訪れた道智上人によって温泉地として開拓されたという伝説が残っています。
道智上人は超人的な名僧として当時から有名だったようですが、謎が多く実在していたかどうかもはっきりしません。
とはいえ、温泉地としては奈良時代に発祥したのは間違いなさそうです。
平安時代に編纂された古今和歌集には藤原兼輔の読んだ次のような一節が残っています。
「但馬の国の湯へまかりける時に、二見の浦といふ所にとまりて、夕さりのかれいひたうべけるに、ともにありける人々の歌読みけるついでによめる」
現代語に訳すと、但馬の国に湯あみをしに行って、二見の浦の宿に泊まり、夕食に乾飯を食べた、ということです。
少なくともこのころには城崎の温泉は貴族に知られており、泊まって食事する施設が整っていたわけです。
江戸時代になると大衆文化が栄え、一般の湯治客も多く訪れるようになり、宿泊施設が発展。幕末には63軒の宿屋があったと言われます。
明治に入ると交通網の発達で日本中から観光客が訪れるようになりました。
文豪志賀直哉が城崎を定宿にしたことでも知られ、『城の崎にて』という作品まで残しています。
大阪から城崎まで特急で2時間半と関西圏に住む人にとってはアクセスがよく、半面で、歓楽街の少ない静かな風情が女性層やシルバー層にも人気の温泉地となっています。
参考:
城崎温泉
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城崎温泉の商標登録の状況
登録日 | 平成19年(2007)3月30日 |
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出願日 | 平成18年(2006)8月10日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)8月10日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)3月30日 |
商標 | 城崎温泉(標準文字商標) |
称呼 | キノサキオンセン |
権利者 | 城崎温泉旅館協同組合 |
第43分類 | 兵庫県豊岡市城崎町における温泉浴場施設を有する宿泊施設の提供【類似群コード】42A01 |
第44分類 | 兵庫県豊岡市城崎町における温泉浴場施設の提供【類似群コード】42D01 |