小池百合子東京都知事に誓い若狭勝衆院議員が8月7日、国会内で会見し、政治団体「日本ファーストの会」を立ち上げたと発表しました。
去る7月の都議選で旋風を巻き起こした地域政党「都民ファーストの会」が国政参加するのは時間の問題と言われていたが、やはり始まったわけです。
ところで、「あれ? 『国民ファースト』じゃないの」と思った人も少なくないはず。
“日本ファースト”では、どこぞの評判の悪い大統領のキャッチフレーズとかぶりはしないだろうかと変な心配をしていまう。
しかも、その「日本ファーストの会」でさえ、実は、「元祖」が別にいたようで。
いったいどういうことでしょう。
小池新党の船出のはずが
7月の都議選で圧勝して都議会第一党に躍り出た「都民ファーストの会」が、いよいよ国政に向かうようです。
小池百合子氏が知事に転身したときから行動をともにしていた盟友若狭氏自身が代表となって新党「日本ファーストの会」を立ち上げ、同時に、小池氏の「希望の塾」にならって、政治塾「輝照塾」を開催し、候補者を募っていくことを発表しました。
事実上の小池新党の国政進出と受け止められているわけです。
ところで、華々しい門出になるはずが、思わぬところで話題になったのは、今後の国政における戦略ではなく、むしろネーミングでした。
「国民」と「日本」ではまるで意味が違う
7月の都議選に勝利した際、マスコミから国政参加の可能性を問われた小池氏は、直接の言及は避けたものの、「都民ファーストならぬ国民ファーストをベースに考える方が増えれば、国民にとってもいいこと」と、国政への意欲をにじませました。
このときから、「国民ファースト党」とか、「国民ファーストの会」といった党名で国政政党ができるのだろうと考えていた人も多いはず。
それが、いざ蓋を開けてみたら、「日本ファーストの会」です。
地域政党の「都民ファーストの会」は、それまで、数の力で都議会を牛耳ってきた自民勢力に対抗し、都政を都民の下に取り戻すというスローガンを込めたものです。
これが、「東京ファースト」ではだめだったのと同じように、「日本」と「国民」では似ているようでも意味がまるで違ってきます。
いったいなぜ若狭氏は、素直に「国民ファーストの会」の名称を使わなかったのでしょうか。
そこにはやむにやまれぬ事情があったようです。
中見出し
真相は若狭氏も明らかにしていないので不明ですが、「国民ファーストの会」にしたかったけどできなかった、というのが本当のところのようです。
というのも、すでに「国民ファーストの会」は、第三者が作っていたからです。
その人物は、都知事選や都議選にも立候補していた後藤輝樹氏。
政治活動を行っている自身の団体「後藤輝樹後援会」を今年5月8日、「国民ファーストの会」に名称変更していました。
ここで、若狭氏側にはいくつかの選択があったはずです。
商標と違って、同じ政党名を名乗ったところで法律上の問題はありませんので、同じ政党名を構わず採用するか、あるいは「日本国民ファーストの会」など、少しだけ変えてもいいはずです。
しかし、どうしてもできなかったようです。
というのも、国民ファーストの会代表の後藤輝樹氏は、過去の政見放送に軍服を着て登場するなど、かなり極端な政治思想の持ち主。
若狭氏側としては、混同されるのをどうしても避けなければならなかったようです。
中見出し
若狭氏は、やむなく「国民ファースト」の呼称を断念し、「日本ファースト」を採用したようですが、実は、それでも丸く収まりそうもありません。
「日本ファーストは私が元祖」
と名乗る人物が現れたからです。
それもかなり意外な人物です。
その人物とは、発明家のドクター・中松こと中松義郎氏です。
若狭氏の会見を見たと思われる中松氏は、会見の翌日8日に、自信のツイッターで「『日本ファースト』の元祖はドクター・中松であることをお忘れなく」と発信しました。
調べてみると、確かに4月26日付で同氏自身が「日本ファースト党」を商標登録出願しています。
現在、審査段階ですが、中松氏はかれこれ20年近く政治活動を行ってきたので、商標登録が認められる可能性は高そうです。
そうすると、若狭氏の「日本ファーストの会」は党名使用が制限される可能性もでてきてしまったわけです。
既成政党の不満の受け皿として、政治に新風を巻き込むことを期待された小池新党ですが、いよいよこれからというとき思わぬ出鼻をくじかれそうです。
参考:
「日本ファーストの会」立ち上げで若狭氏が会見(全文1)国家、国民のために
日本ファーストの会の名称が物議「なぜ国民ファーストじゃないのか」
なぜ国民ファーストじゃないの? 若狭氏の「日本ファ~」に「トランプの『アメリカファースト』と同じ」
ドクター中松“日本ファーストの会”名称の元祖主張