International Business Machinesが正式名称のIBM。コンピューター関連の製品やサービスを提供する会社の草分け的な存在として有名です。
おおもとは米国企業で、日本においては孫会社にあたる「日本IBM」が運営しています。
今回は、米国IBMの歴史を追いながら、そのルーツを探ります。
業務関連機器製造の3社が原点
1911年にIBMは創業しましたが、その原形をたどると1980年代にさかのぼります。
いずれも19世紀前後に誕生したザ・タビュレーティング・マシーン・カンパニー(1896年設立)、ザ・インターナショナル・タイム・レコーディング・カンパニー・オブ・ニューヨーク(1900年設立)、コンピューティング・スケール・カンパニー・オブ・アメリカ(1901年設立)の3社が同社の原点になりました。
この3社が実業家チャールズ・フリントの提案によって1911年に合併し、コンピューティング・タビューレーティング・レコーディング・カンパニー(CTR)となり、後に社名をIBMに変更しました。
初代社長にはトーマス.J.ワトソン・シニアが就任しました。
初期は元となった3社が製造していた従業員勤務時間記録システム、いわゆるタイムレコーダーや、計量器、自動食肉薄切り機など様々事業を行っていました。
中でも後々重要なキーになっていくのが、パンチカード関連機器の事業です。
コンピューターは開発された当初、現在のようにディスプレイもキーボードもなく、コンピューターの本体しかありませんでした。
人間の指示をコンピューターに伝え、同時に、コンピューターがはじき出した計算結果を人間が理解する言語に翻訳するために媒介となるものが必要です。
そこで使われたのがパンチカードだったのです。
つまり、パンチカードはコンピューターにとってディスプレイであり、キーボードでもありました。
初期には様々な機械を製造していたIBMですが、その後徐々にパンチカード関連事業を中心とするようになり、やがてそれが事業の柱となっていくのです。
一歩先をいく思考から生まれたIBMの社名
いまでこそコンピューターは電子頭脳とも呼べる高度に進化しましたが、誕生した当時はちょっと高度な計算機のようなものです。
少なくとも多くの人はそのように捉えていました。
しかし、トーマス・J・ワトソン・シニアは「コンピューターが単なる事務処理の道具ではなく、情報処理のための高度な技術だ」という概念を創世期から持っていました。
単なる「事務機販売会社」であったCTRを「情報処理会社」として生まれ変らせ、閉塞的なコンピューター業界に変革を与え、現状を打破したいとの願いから、社名を「International Business Machines」へと変えたのです。
前身のCTRが「Computing-Tabulating-Recording Company」つまり、コンピューターと記録機器の会社であるという表記から、ビジネスを支える機器のメーカーとして脱皮するという思いが籠っていたわけです。
今でこそ、コンピューターは情報処理機器として当たり前の存在になっていますが、トーマス・J・ワトソン・シニアが社名を変えた当時は、なかなか受け入れられず、その苦労ははかりしれません。
情報処理会社としての確かな地位を築いたIBMの姿を見れば、彼の悲願はまさしく達成されたと言えることでしょう。