広島県の府中市は、高級家具の産地として知られており、「府中家具」は府中家具工業協同組合によって地域団体商標にも登録され、ブランド化が図られています。
その発祥は江戸時代にまでさかのぼりますが、その頃の広島県府中市周辺は交通の便が悪かったため、家具の材料になる木材が手に入りにくく、さらに生産した家具を他地域に販売するための物流ルートも乏しい状況でした。
なぜそのような地域で家具作りが盛んになったのでしょう。
広島県の府中家具とは
現在、広島県府中市内には、家具メーカー、部品の加工業、原料を供給する資材業など家具製造に携わる企業が約170社も集積し、地域を代表する産業に発展しています。
もともとは和タンスを生産していましたが、現在は洋タンスを中心に、リビング家具、ダイニング家具、ベッド、システムキッチンや内装ほか木製製品全般を手掛けており、とくに高級婚礼家具の産地として有名です。
その名声を高めたのが、全国規模で行われる家具製品のコンクールで表彰の常連となったことです。
昭和34年、当時、家具の世界ではもっとも権威あるコンクールとされた全国優良家具展開催の第4回大会で、府中市内のある事業者が全国家具組合連合会長賞を受賞。
翌年には府中の業者がこぞって参加し、なんと5社がまとめて入賞。
さらに昭和36年の第6回大会では、優勝に相当する通商産業大臣賞を府中市内の事業者が獲得。
翌37年の大会でも、通商産業大臣賞を連続受賞したのです。
現在でも、全国規模で行われる全優展、全日展などのコンクールでは、常に府中市内の事業者が上位に入選しており、コンクールの主役と言える存在であり、極めて高い技術の継承が行われていることを表しています。
広島県の府中家具の歴史
家具の世界では押しも押されもせぬ一等産地となった広島県の府中市ですが、その発祥をたどると意外な事実に突き当たります。
広島県府中市でタンスづくりが始まったのは、今から300年ほど前の宝永年間(1794~1710年)のこととされます。
このころ、タンスはまだ高級品であり、そもそも、庶民にはタンスに収納しなければならないほど数の服は持ち合わせていません。
ニーズがあるのは京の公家や武家、大阪の裕福な商人ぐらいで、府中市内はおろか、中部地方全体を見まわしても需要はほとんどない状態でした。
生産したタンスを京や江戸に運搬して売るならまだしも、府中は街道からも離れているし、海も近くないので海運の便がいいわけでもない。
さらに、木材資源に恵まれた土地でもないので、原料である木材を入手するのにも困難を極めたようです。
だいたいにおいて、伝統工芸品が発展していく条件として、原料が手に入りやすく、港に近いなど物流の利便性がよいといった地の利が大きくものをいうものです。
その点において、広島県の府中市は極めて例外的なケースと言えるでしょう。
不利な立地でなぜ家具づくりが栄えたか
家具の生産地としては適した立地とはいえなかった広島県の府中市が全国有数の産地になったのはなぜでしょう。
広島県府中市で最初に家具の製造を始めたのは内山円三という人物です。
府中市出身の円三が、タンス発祥の地、大坂で修行を重ね、帰郷して工房を開いたのがこの地でタンスづくりが始まったきっかけになりました。
ただし、このときは、産業として発展するまでに至りませんでした。
やはり、物流の不便さが原因です。
広島県の府中市が産地として頭角を現すのは、大正時代に鉄道が開通されるまで待たねばならなかったのです。
円三がタンスの製造を始めて実に200年後のことです。
広島県府中市は、タンスの生産地としては不利な立地であることが災いして、産地としてはなかなか目がでなかったわけですが、それでも、200年もの間、連綿として製法を受け継いだのは脅威です。
円三についての情報があまりないので、ここからは推測になりますが、おそらく、非常に優れた職人であり、かつ、タンス産業をこの地に根付かせることに、極めて高い情熱を持っていたものと推測されます。
ブランドが確立される際に、創始者の存在というのはとても重要です。
シャネルにしてもディオールにしても、巨大ブランドに成長している企業は、創始者の存在がいまも製品や企業文化の中に色濃く息づき、その存在自体がブランドの魅力ともなっています。
200年間ということは、少なくとも、円三から数えて数代後になっていると推測されますが、代々にわたって初代のモノづくりの精神が受け継がれてきたことになります。
それだけ、円三が残した精神が卓越していて、次世代の人たちを引き付けたのでしょう。
志が受け継がれる限りブランドは栄える
最初の一人である円三の一歩から数えること200年、大正時代になってようやく花開いた府中家具ですが、ここから飛躍的な発展の時代に入ります。
特に大きかったのが、昭和40年代に考案された、「婚礼家具セット」です。
戦争に敗れ、貧しかった日本ですが、このころになると高度経済成長によって少しずつ暮らしが充実するようになり、家電品や家具類を各家庭で一通り揃えられる購買力がついてきました。
さらに、同時期、戦後生まれの世代、いわゆる「団塊の世代」が結婚適齢期に到達する大量結婚時代に突入したのです。
こうした時代の空気を感じ取った府中市の事業者が、新しい家庭を築く際、必要な家具を同じデザインで統一し、セット化した「婚礼セット」を考案したのです。
これがたちまちヒット商品となり、市内の事業者はこぞって追従。すると、最初は3点セットだったものが4点セット、5点セットになり、競い合うことで売上も増大。産地全体で飛躍的な成長を遂げたというわけです。
このような時代をけん引する大ヒットを生み出すところに、ブランド創始者の卓越した精神がうかがえます。
いま、初代円三の記録を見ることができないのが残念です。おそらく、地域には残っているはずなので、広島県府中市で家具産業に携わる人たちは、ぜひ、内山円三の功績を再発掘してほしいと思います。
参考:
府中家具工業協同組合
府中家具工業協同組合
JAPANブランド
府中家具の商標登録情報
登録日 | 平成19年(2007)3月9日 |
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出願日 | 平成18年(2006)6月12日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)6月12日 |
存続期間満了日 | 平成29年(2017)3月9日 |
商標 | 府中家具 |
称呼 | フチューカグ |
権利者 | 府中家具工業協同組合 |
区分数 | 1 |
第20類 | 広島県府中市で生産された家具 |