学生時代に誰でもお世話になった文具を作っているコクヨ。
ロングセラーとなっている「Campus(キャンパス)ノート」は発売から39年間で累計販売数26億冊に達します。
あまりに見慣れているために、コクヨという商標がどこから来ているのか、改めて考えたことはないかもしれません。
商標には並々ならぬ強い思い入れがある同社だけあって、そこには深い意味があったのです。
郷里の誉れ(ほまれ)になるという願いを込めた商標
コクヨは最初からコクヨという社名だったわけではなく、1905年(明治38年)に創業したときには、創業者黒田善太郎氏の名前をとって、黒田表紙店と名乗っていました。
表紙店とは、当時の一般的な和式帳簿の表紙製造だけを請け負う仕事です。
表紙だけなので、当然、収入はごく一部に限られ、会社に入るのは最終販売価格のわずか5パーセントだったそうです。
それでも黒田は品質の向上に励み、やがて、「表紙なら黒田の表紙」と言われるまでになり、事業の規模も少しずつ拡大していきました。
当時の商標はコクヨではなく、○善(まるぜん)でした。
商品に絶対の責任を持つという意味が込められているということです。
そうした製品づくりに対する姿勢が黒田表紙店の信頼を築いていったという訳です。
やがて、表紙だけでなく帳簿そのものを作るなど業容が拡大してきたこともあり、大正3年に社名を黒田国光堂に改称。
このとき、商標を社名からとった国光にする予定でしたが、先に商標登録されていたため断念。便宜的に、国印、光印の商標を使っていた時期があるということです。
当時の日本は急速な西洋化が進んでおり、帳簿の記帳方式が西洋式の複式簿記に移行していしました。
同社はそのニーズを見越して、1913年にいち早く洋式式帳簿の販売に着手。
さらに、伝票、仕切書、複写簿、便箋などの製造も始め、紙製品メーカーとして発展を続けました。
商品のシリーズ化が進んだことで、統一ブランドをつくる必要がでてきました。
そこで、大正6年、文具シリーズにつけたブランド名が国誉(コクヨ)だったのです。
商標を考案したのは創業者である黒田氏です。
郷里の越中国(現在の富山県)の誉れとなるようにという願いを込めて名づけたものです。
故郷への思いを込めた、深い名前だったのです。
やがて国誉の商標は昭和23年にカタカナに変わり、現在のコクヨになりました。
昭和36年には社名もコクヨに変えて、現在に至ります。
商標へのこだわりが高じて社名コンテストを主催
商標にこだわりのあるコクヨは、2013年に社名の由来コンテストを主催しているほどです。
従業員数1~10人までの小規模事業者を対象に募集。集まった応募の中から大賞3社、審査員賞5社を決定しました。
ちなみに、大賞に選ばれたのは次の3社。
情報通信業のザワット
利用者の鳥肌がザワっと立つような、世の中を変えるサービスを創ろうという願いを込めています。
学習支援業のハバタク
自らの探究する世界に羽ばたく人を支えたい、また、自らの人生のタクト(指揮棒)をとっていこう(Have a Takt !=ハブアタクト)という想いを込めています。
金属製造のマクルウ。
マグネシウム合金(Magnesium Alloy)と、冷間引抜製品Cold Rolling Machineの頭文字から。
競馬などで一気に追い抜いて先頭に出るという意味の「まくる」にかけて、トップランナーを目指す意気込みを込めています。
大賞に選ばれた3社には、従業員人数分のデスク、BOX収納、イスなどオフィス家具一式が送られました。