ネーミングをめぐる物語 「クロネコヤマト」

街を走るトラックにつけられたクロネコマークは、ヤマト運輸の商標としておなじみです。

日本における運送業の大手企業ですが、そもそもなぜシンボルマークが“クロネコ”なのでしょうか。

その歴史と商標の由来を調べてみると意外なことがわかりました。

目次

クロネコマークの由来

ヤマトグループは現在、運輸業、宅配事業、引っ越し事業から金融業まで行う複合企業に成長していますが、そのスタートは1957年のこと。

米国の運送会社アライド・ヴァン・ラインズ社のビジネスモデルだった家庭向けの引っ越しサービスを日本に導入するため、アライド社と業務提携したことに始まります。

そして、アライド・ヴァン・ラインズ社がロゴ商標として使っていたのが「親子猫」をモチーフにしたマークだったのです。

母親が優しく子猫をくわえて運ぶ様子を描いたデザインは、運送業社の心構えを適切に表現しているとして、当時の小倉康臣社長が強く共感。

アライド社に許可をとった上で、猫の親子を新しい会社のシンボルマークとすることに決まりました。

ただし、アライド社の親子猫マークは白猫。

なぜクロネコになったのか、経緯はヤマトの社内でもわかっていませんが、当時の広報担当者の娘が書いた絵がヒントになったと言われています。

宅急便ビジネスの先駆け

創業時はたった4台のトラックからスタート

ヤマト運輸は日本で初めて「宅急便」という業務形態を作った会社として知られています。

1919年に、トラック運送行の大和運輸として創業したのがはじまりです。

日本の道は、まだ荷馬車が走っていたころのことです。

そのころ、トラックの台数は全国の事業者すべてを足しても204台しかない時代でした。

その中で大和運輸は4台のトラックを持って営業を開始したのです。

何をやるのでも日本初

トラック輸送というビジネスが始まったばかりの当時、何をやるにも日本初でした。

たとえば、1929年に開始した定期積みあわせ輸送も、現在では当たり前になっている路線配送事業のこと。

定期便は「大和便」という商標で知られるサービスになりました。

太平洋戦争中の混乱期には配送業はとまっていましたが、1946年に大和便の路線事業を再開。

続く1949年には百貨店の配送業務も復活します。

このあたりから日本経済が高度成長時代を迎えた時期で、1960年代後半にかけて、業績が急拡大しました。

苦境の中で確立した最大のビジネス

しかし、苦難は続きます。1973年、突然のオイルショックに見舞われ、1974年度を境に低経済成長が続き、輸送需要は大幅に減少しました。

この苦境を乗り切るため、生まれたのが一個の荷物から個別配送するという、宅急便ビジネスです。

輸送事業というのは、大量の物資をできるだけまとめて配送することで利益を生むビジネスです。

小口配送は採算性が低く、請け負う運送業者はありませんでした。

でも、誰もやらないことだからチャンスがあるもの。

ヤマト運輸はシステム化と配送の効率化によって、最先生の低い小口配送を利益のでるビジネスに転換することに成功し、宅配便の大手企業になったのです。

クロネコの原画見つかる

さて、先述のクロネコマークですが、このロゴ商標が誕生した1957年当時の広報担当者の娘が書いた絵がモチーフらしいという話は伝わっていたものの、事情を知る関係者はすでに退職しており、真相は社内でもよくわかっていませんでした。

それが、2016年、社内の倉庫で原画が見つかったのです。

ヤマトグループは2019年で創業100周年を迎えます。その記念事業の準備のため、倉庫を整理していたところ、問題の原画見つかったのです。

当時6歳の子供が書いたものですが、ぴんと張った耳や、キリッとした目元は、現在のクロネコマークの特徴とよく似ています。

さらに、原画は色が薄れてしまっており、肉眼ではわかりにくいものの、写真としてとりこみ画像補正をかけてみると、親猫の口元に子猫が加えられている様がしっかり描かれていたのです。

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