石川県の地域ブランド商標である七尾仏壇は、平成18年(2006)11月17日、七尾仏檀協同組合により地域団体商標に登録されました。
石川県の七尾仏壇は、堅牢・荘厳・華麗が特徴であるといわれています。
金箔が有名な石川県らしく、美しく輝くその佇まいに、ため息がでるほど。
そんな七尾仏壇のブランドはいかにして誕生し、現代まで守られてきたのでしょうか。
石川県の七尾仏壇とは
伝統の製造法が厳しく守られている
石川県七尾市で作られた仏壇だけが「七尾仏壇」の商標の使用を許されています。
石川県の七尾仏壇は製造法についても厳しいルールがあります。
まず、伝統的な手工業によって作られていることが必要です。
さらに、原材料についても、縮みやよれがでにくく長持ちすると言われる木材、能登アテ、能登ヒバをはじめとするヒノキ、イチョウ、マツなどを使い、金具は、銅若しくは銅合金を使用し、漆は、天然漆のみが認められています。
能登半島の民家は、比較的大きい家が多く、仏壇も大きなものが好まれることから、サイズは大きめ、漆塗りや金箔加工などを施した豪華絢爛さが特徴です。
過酷な能登の地形が生んだ堅牢さ
もう一つ、石川県の七尾仏壇の特徴を挙げるとしたら「堅牢さ」があります。
完成した仏壇を運ぶとき、通常は大八車で乗せればいいところ、能登地方は山間部が多いため、天秤棒につるして2人一組で担ぐときもあれば、背中にしょって運ばなければならない急な坂道もあります。
こうした過酷な運搬工程を耐えるためにも、堅牢さが必要でした。
そこで、鏡台の木地を二枚にしたり、ほぞ組みを用いたりするなど、工夫を重ねることで、丈夫な造りになったといわれています。
石川県の七尾仏壇の由来
七尾仏壇の起源は、室町時代であるといわれています。
能登国守護の畠山満慶が蒔絵・彫刻等の工芸産業を保護・奨励したことが、七尾仏壇の基礎を築いたとされます。
当時の七尾の町には塗師(ぬし)町という町名が昔からあったことから、大勢の塗師が住んでいた様子がうかがえます。
現在の七尾仏壇協同組合の前身である組織も七尾町塗師業仲間から発生したのが起源です。
さらに、江戸時代初期には「塗師町通り」「木町」「大工町」などの職人街が形成されていたそうです。
昔から、石川・富山の両県は、七尾仏壇に加えて、金沢、美川、高岡など仏壇の名産地がひしめきあっています。
中でも石川県の七尾市は、日本海ルートの物資運搬の主役であった北前船が立ち寄る港も多く存在するため、日本全国に販路を開拓することができ、長らく伝統産業として息づくことができたとされています。
参考:
七尾仏壇協同組合
伝統的工芸品産業振興協会
仏壇の一流
石川県の七尾仏壇の商標登録の状況
登録日 | 平成18年(2006)11月17日 |
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出願日 | 平成18年(2006)4月3日 |
先願権発生日 | 平成18年(2006)4月3日 |
存続期間満了日 | 平成38年(2026)11月17日 |
商標 | 七尾仏壇 |
称呼 | ナナオブツダン |
権利者 | 七尾仏檀協同組合 |
区分数 | 1 |
第20分類 | 石川県七尾市において主要な生産工程が行われた仏壇【類似群コード】20F01 |